2019-08-03 UPDATE
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◇人間にとっての食事
食事をするという行為には二つの人間的意味が潜んでいる、と私は考えている。その一つは、食事は人間として主体的な行為の原点であるという事実であり、他の一つは「会食」を通して社会的な場に人を置いていくというものである。
◇人間にとっての排泄
排泄の自立は多かれ少なかれ「羞恥心」に裏打ちされている。羞恥心は、その瞬間に「自分を見ている他人」と「見られている自分」を強く意識させる。つまり、羞恥心は自己を他と違う存在として強く意識させるものがある。
排泄は、本来他人の目に晒すものではない行為である。ここに食事と排泄との決定的な違いがある。排泄行為を他人の前に晒け出すこと、その無防備な、しかも一般的には抑圧された行動をあえて犯すこと(犯さざるをえないこと)は、人としての基本的な備えを奪うことであり、他方でそれに伴う羞恥心の喪失は、人間本来の在り方を失うものだと思える。
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排泄ケア=おむつ交換ではありません。トイレで排泄をすることを促す(支える)ケアなんです。人間本来の在り方を取り戻すケアといっても良いほどです。
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そのためには、“生理学”の知識が必要です。三好春樹氏らは「おむつ外し」を“関係性”の再構築からアプローチしました。「おしっこが出たら教えてね」から始まり「おしっこが出そうになったら教えてね」に進んで、トイレで座って排泄ができるようになるのです。
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そう考えると“おむつ”は、人間性を取り戻すための武器なんです。だからこそ、安易なおむつ着用ではなく“自立支援”を促すおむつの使用方法・装着方法を研修で学ぶのです。
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付箋が残っていた本は、
○『医療は「生活」に出会えるか』:竹内孝仁 初版1995.9
他に、介護黎明期の著名な書籍として併せて
○『介護基礎額学』:竹内孝仁 初版1998.4
○『介護覚え書』:三好春樹 初版1992.11
○『関係障害論』:三好春樹 初版1997.4
を再読中です。
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私が大学で高齢者介護を学んだのは1981年、仕事として取り組むようになったのが1994年。その頃に出会ったこれらの書籍。私の仕事観の底流であり、今でも事あるごとに再読するバイブルでもあります。
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『介護基礎学』は“新版”になり、『関係障害論』は“痴呆論”としてその考えは引き継がれています。
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『介護覚え書』の目次は今でも新鮮です。
1.ナイチンゲールと介護、介護のめざす方向性
2.食べる〜生への意欲を引き出す
3.排泄する
4.風呂に入る
5.地域の中へ
6.老化にともなう人間的変化
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また、まえがきはこう結ばれています。
『介護覚え書』というこの本の標題は、当然ながらナイチンゲールの『看護覚え書』からの剽窃(ひょうせつ)である。“現代のナイチンゲール”をめざそうなどという気持ちは私にはない。ただ、ナイチンゲールの名著に由来する『介護覚え書』という名前にふさわしい内容になっているかどうか、心配するのみである。
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これらの本を読んでから25年あまり。まだまだ学ぶことは多く、まだまだ現場で実践していかなければいかないことがたくさんあります。写真は私の蔵書です。随分古びてますね。ちなみに著者サイン本なんですよ!
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介護は人とのふれあいが根底にあるから、連綿と続く毎日が糧になり蓄積されていくのです。それを裏付ける確固たる理論。そこに身を置いて、日々奮闘しているのが介護職員なんです。
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